2012年7月27日金曜日

吉事も凶事も全ての経験は自らの魂を成長させてくれる糧☆

人生には、実に様々なことが起きるものです。

ある日突然、宝くじが当たる人もいれば、交通事故に巻き込まれたり、思いもよらない訴訟に巻き込まれる人もいるでしょう。

また努力の結果、学校や資格試験に合格する人もいれば、不合格で諦める人もいるでしょう。

仕事で予想以上に認められることもあれば、思いもよらない人から嫉妬で妬まれとんでもない目にあったという人もあるでしょう。

人生で起こる様々な吉凶の出来事は、実際にはその人の業(カルマ)があたかも重力のように自ら引き寄せているものであり、全ては必然なのですが、本人にしてみれば、表が出るか裏が出るか五分五分で運任せのコイントス(コイン投げ)としか思えない部分も大きいでしょう。

なぜなら、誰も過去世の記憶が無く、自分がどんな業(カルマ)を負っているのか判らないため、「一寸先は闇」と言われるように、次の瞬間、自分の身に何が起きるのか読めないからです。

実際には、人生はコイントス(コイン投げ)などではなく、全ての出来事は業(カルマ)の法則に従って起きる必然なのですが、仮に人生をコイントス(コイン投げ)のようなものだと捉えてみても、残念な生き方をしている人がとても多いものです。


試しに、自分がコイントス(コイン投げ)をすると想像してみて下さい。

吉凶を判り易くするために、結果をお金に置き換えて考えてみましょう。

表が出れば貴方は100円貰うことが出来、裏が出れば100円支払わなければならないとします。

掛け金が100円の時、おそらくそのコインを貴方はほぼ無心ですぐに投げることが出来るでしょう。

では次に、その掛け金が100円ではなく100万円になったらどうでしょうか。

貴方は100円だった時と同じく無心ですぐにコインを投げることが出来るでしょうか。

あるいは掛け金が1000万円だったら・・・さらに1億円だったら・・・あるいは自分や愛する人の命が掛っているとしたらどうでしょうか。

貴方は100円だった時と同じく無心ですぐにコインを投げることが出来るでしょうか。

おそらく、大抵の方が躊躇してしまうだろうと思います。


実際には、ルールも確率も全く同じで、違っているのは掛け金だけです。

それなのに、大抵の方が躊躇してしまうのは何故でしょうか。

さらに、結果はコントロール出来ないのに、コイントス(コイン投げ)に負けると失敗した気持ちになってしまう人が多いのは何故でしょうか。


それは、そこに個人的な「感情」が入ってしまうからです。

投げる前には「負けたらどうしよう・・・」と未来を心配し、こんなこと止めたい、逃げたい、という後ろ向きの感情が芽生えます。

投げた後には(そして違う面が出た時には)「失敗してしまった!」「自分は負けたんだ!」と過去を悔い、反省というよりも「ああ何故あそこで負けてしまったんだろう・・・」という後ろ向きの感情が芽生えます。

しかし、よく考えてみれば判ることですが、人生で否応なくコイントス(コイン投げ)をしなければならない場面は前触れもなく突然やって来ることがありますし、さらにその結果は自分のコントロールの範囲を超えているのです。

ですから、コイントス(コイン投げ)の前であれ、その結果であれ、恐れたり、悩んだり、憂いたり、悔んだりする必要は無く、そんなことで苦しむのは愚かなことなのです。

本当にやるべきことは、否応なくコイントス(コイン投げ)をしなければならなくなったのなら淡々と受けてたつこと、そしてもし悪い結果が出たら、それを招いた「自ら(の業(カルマ))に対する純粋な反省(後悔ではなく)」、そして「反省によって気付けたことに対する感謝」なのです。


人生における吉凶の出来事は、その人の今世の努力によって変えることが可能なものもありますが、「宿業」と言われるもののように今世で業(カルマ)の報いを受けるしかなく、変えられないこともあります。

また、自らの悪い業(カルマ)を解消し清めていくことで魂は磨かれていきますので、その努力は常に必要ですが、それでも人間として生きている限り、誰もが一方で新たな業(カルマ)を作り続けています。

誰の身の上にも必然的に何かしら吉凶の出来事は起こります。

出来る限り良い結果が生まれるよう常日頃から努力しておくことは大切ですが、それでも悪い結果が出ることもあるでしょう。

その人の人生、魂模様は、吉凶が織りなした一枚の布のようなものです。

以前、悪い気、邪気にも存在意義がある、と書きましたが、凶の出来事、マイナスの(と思える)出来事も、この世界を構成する一部なのです。

だから誰もそれを避けては通れません。

それは、神様がその人に「貴方ならきっと乗り越えられるはずですよ」「これで大事なことに気付くのですよ」とメッセージを送り、試されている時でもあり、それを乗り越えてこそ人は成長します。

未来を憂うのでもなく、過去を悔むのでもなく、今この瞬間を生きること。

そして、良いことも、悪いことも、起きたことはただ淡々と感謝して受けること。

吉事も凶事も、全ての経験は自らの魂を成長させてくれる糧なのです☆


良かったら押して下さい☆

健康ブログ 気功

人気ブログランキング

スピリチュアル/アンチエイジング ランキング





2012年7月19日木曜日

感謝の意識は魂磨きを加速してくれます☆

前回「曇りなき眼で見定めるには-感謝が大切なキーワード☆」で、「自分自身への感謝」「自己への感謝」が大切ということを書きました。

しかし、自分への感謝、親への感謝、他人への感謝、自然への感謝などする気になれないという方もいると思います。

本来、感謝は内から湧いてくるものであり、他から強制されるものではありません。

いくら後天的に教えられたところで、感謝する気になれないのに感謝しろと言われても、無理なものは無理だろうと思います。


私は、気功師としてまたスピリチュアルヒーラーとして様々なアドバイスをしますが、それらは魂磨きに役に立つことであり、上辺だけではない本当の幸せに繋がることです。

しかし、それを取るのも取らないのもその人の自由。

感謝の無い人生を送ればそれに見合う人生が開けるでしょうし、感謝に満ちた人生を送ればやはりそれに見合う人生が開けるでしょう。

自分に、親に、他人に、自然に、どうしても感謝などする気になれないという場合、その方はまだそういう時期ではないのでしょう。

人にはそれぞれに持って生まれた徳(運)があり、その位置エネルギーが続く限りそれなりの人生を送れます。

ですから、人によっては仮に生まれた時からずっと感謝の無い人生を送ってきた場合でも、それほど困ることのない人生の場合もあります。

しかし、その持って生まれた徳(運)を使い果たした後、相変わらず感謝の無い人生を送っていれば、それなりの人生が開けていくことになります。

感謝の無い人生。

それは、他からも感謝されない人生になるでしょうし、何より本人自身が人生を楽しいとは感じられないでしょう。

そのような場合、その人には魂の経験を積む学びの必要がまだまだあるということでしょう。

その学びの時期を経て、その人にはようやく感謝の大切さに気付く時期が来たり、素直に感謝出来るようになったりするでしょう。


ヒーリングでも、実は感謝で受けることの出来る人は治りがとても早いのです。

神様が、そして私が、その方に気のエネルギーを流す時、感謝で受けることの出来る人は宇宙の愛の根源との繋がりがより強力になりますから、良い変化がスピーディに表れます。

以前、患者さんで「ヒーリングを受けに来ることが楽しくて仕方ない」「受けることが出来てとても有り難い」と、他の患者さん以上に明確な感謝の気で受ける方がいました。

その方は新婚の新妻さんで、早く子供が欲しいということでしたが、子作り以前に肩凝りや腰痛や冷え性など気になる症状がありました。

そこで、気の循環を良くしていったところ治りが非常に早く、しばらく通われた後に私が「もう十分気が通るようになりましたから、ヒーリングに来なくても大丈夫ですよ」と言うと、「毎回凄く楽しみに来ていたのに・・・もうここに来れなくなるのかと思うと・・・」と泣かれました。

でも最後に「コウノトリが赤ちゃんを運んで来てくれると良いですね」と言うと、「ハイ!」と最高の笑顔で帰って行かれました。

しばらく後、たまたまマーケットでご主人とご一緒のその方を遠くに見かける機会がありました。

その方もこちらに気付き、頭上に大きく両手で円を作って「○!(子供出来ましたよ!)」と幸せを伝えてくれ、私もとても嬉しくなったものです。


これは、私が手渡す気をとても素直に受けられた良い例です。

ヒーリングの際、私はいつでも神様からの愛の気を手渡すことをしていますが、中には意識的にせよ無意識的にせよ頑固に受け取らない方もいらっしゃいます。

そういう場合、その気はいつまでも私の手にあり、その方には渡すことが出来ません。

それを受け取るかどうか、あとは受け手次第"up to you"なのです。

単純に言えば、頑固な人ほど難しい、そう感じます。

頑固な人でも、自分からやって来る人はまだ受け取る準備がありますが、人に無理やり連れてこられたような場合は受け取る準備もありませんのでそうなります。

そういう場合でも、連れてきてくれた人に「わざわざ貴方の時間を割いて連れてきてくれて有り難う」と感謝出来れば、それだけで結果は違います。

「無理に押し付けられた」と考えた時、その人の気は、私が差し上げる気を絶対拒否で跳ね飛ばしてしまいます。



どうしても感謝が難しい場合は、「感謝出来ない自分」に気付けたことに感謝することは出来るでしょう。

そうやって感謝出来る部分を少しでも探して感謝してみると、次が開けてきたりするものです。

いずれにしても、この「感謝」という魂磨きのコツを取るも取らないも自由です。


"感謝の心は最大の美徳のみならず、あらゆる他の美徳の両親なり。"
(キケロ)

"感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。"
(松下幸之助)

"感謝は高潔な魂の証である。"
(イソップ)


多くの先人が感謝の大切さについて教えてくれています。

「今在ること」「生かされていること」「この世で様々な体験(学び)が出来ること」への感謝

このような「自分自身への感謝」「自己への感謝」が出来ていれば、自分自身が確立し、自分というものに対して絶対の自信が持てます。

そこからようやく幸せへの道が開けます。

良い事も悪い事も「こんな貴重な体験を有り難う」と感謝して受けられるようになれば、感謝の循環が起こり、貴方の魂磨きは加速していくでしょう☆


良かったら押して下さい☆

健康ブログ 気功

人気ブログランキング

スピリチュアル/アンチエイジング ランキング





2012年7月13日金曜日

曇りなき眼で見定めるには-感謝が大切なキーワード☆

人は、誰もがこの世界を、自分自身の価値観という色眼鏡を通して見ています。

他人からの言葉をどう解釈するか、にはそれが顕著に表れます。

人が言葉という媒体を通じてコミュニケーションを取る以上、まず自分が言葉にした瞬間に伝えたいことは形を変えてしまい、本来伝えたい内容を充分伝えられないこともあるでしょう。

伝えるために最適な言葉を選択することは必要ですが、一方それを受け取る側には相手が本当に伝えたいこと、事実を事実として、あるがままに「曇りなき眼で見定める」ことが必要です。


例えば、貴方は、他人が純粋に貴方の為に思って言ってくれている大切なメッセージを、貴方を否定したり、自分に合わない考えを押しつけているだけというメッセージに捻じ曲げて受け取ることはありませんか?

あるいは、自分に都合の良いように他人からのメッセージを勝手に捻じ曲げて受け取ることはありませんか?

そして、せっかくの大切なメッセージを無視したり、都合良く書き換えたりすることはありませんか?

中には、それが自分自身のトラウマに触れるような内容の場合、相手からの言葉は全く受け入れられず、「逆鱗に触れる」という言葉があるように自分でもコントロール出来ないほどの激情が湧き起こる人がいるかもしれません。


曇りなき眼で見定める

これはなかなか難しいことですが、しかし、どんな良いメッセージも、曇りなき眼で見定めることが出来なければ、見過ごしてしまいます。

自分自身はこの世界を正確に「曇りなき眼」で見ている、と自覚しているつもりでも、実際にはえてして「曇りある眼」「曇った眼」で見ていることが多いものです。

それは、正常な視力の人が見ている世界と、乱視の人が見ている世界が違うようなものと言えば判るでしょうか。

もちろんそこには程度の差がありますから、正常な視力の人とそう違わない、日常生活を送る上で充分許容範囲の差もあれば、日常生活を送るには不都合なほどひどい乱視の人もいるでしょう。

曇りなき眼」と「曇りある眼」の違いも同じです。

曇りなき眼」で世界が認識出来なければ、どんな良いアドバイスもどんな良いメッセージも素通りしてしまい、自分の魂には届きません。


「私にはそんな
"他人が純粋に貴方の為に思って言ってくれている大切なメッセージを、貴方を否定したり、自分に合わない考えを押しつけているだけというメッセージに捻じ曲げて受け取る習性"

"自分に都合の良いように他人からのメッセージを勝手に捻じ曲げて受け取る習性"

"せっかくの大切なメッセージを無視したり、都合良く書き換えたりする習性"
は無い!」

と否定している貴方。

ちょっと待って下さい。

本当にそうでしょうか?


自分自身が本当に「曇りなき眼」で見ているのかどうか、それを見定めるのに最も判り易いフィルターがあります。

それは、相手がその言葉を発した瞬間、相手に感謝してその言葉を受けられたかどうか、です。

感謝」は最も大切なキーワードです。


ただ、相手に対する感謝以前に、もっと大切な大前提の感謝があります。

それは「自分自身への感謝」「自己への感謝」です。

この世に生まれてこれたことへの感謝、そして自分自身が「今在ること」「存在すること」への感謝です。

以前、「赤ちゃんが教えてくれる愛☆」で

"赤ちゃんは、その存在自体が天からの愛の恵みそのものです。"
"赤ちゃんが生まれた時、人は赤ちゃんを両手に頂きながら天からの愛の恵みを有り難く頂いています。"

と書きましたが、自分以外の個体である赤ちゃんを、誰もがそのように有り難く押し戴くということは、自分自身も生まれてきた時にそのように有り難く押し戴かれる存在だったのです。

その自分自身に対して、魂から感謝出来ていることがまず大切です。

きちんと「自分自身への感謝」「自己への感謝」が出来ていれば、自分自身が確立し、自分というものに対して絶対の自信が持てます。

そして、そこからさらに他者への感謝に意識が広がった時、人はようやく「曇りなき眼」を持ち始めます。


常に「自己への感謝」と「他者への感謝」がきちんとあると、前述のような習性はどう変わるでしょうか?

他者が発する言葉には「悪意からの言葉」と「善意からの言葉」の両方がありますから、その人が受ける他者からの言葉を、判り易く「悪意からの言葉」と「善意からの言葉」に分けて考えてみましょう。

感謝が本当にあれば、それがどんな言葉であれ、貴方は自己が確立しており、冷静にその言葉を単なる事実として淡々と受け止めることが出来ます。

それ故、それが「悪意からの言葉」であれば、「悪意を気付かせてくれてありがとう」という気付きに感謝できるでしょう。

それが「善意からの言葉」であれば、「善意をありがとう」「魂磨きのためにも自分を振り返ってみよう」「気付きのための良いメッセージをありがとう」と感謝できるでしょう。

どちらにしても感謝で受けることが出来、貴方にとって良い結果が生まれるのです。

もし感謝が無ければ、メッセージを素通りさせてチャンスを逃してしまうか、単に気分を害して終わるか、相手に悪態をついて険悪になるか、その結果自己嫌悪に陥るか、いずれにしても悪い結果が生まれるでしょう。


曇りなき眼で見定める、はとても大切なことです。

しかし、実際にそれが出来ている人はなかなかいないと言っても過言では無いでしょう。

自分自身への感謝」「自己への感謝」。

そして「他者への感謝」(親への感謝は言うまでもありません)。

感謝」は最も大切なキーワード。

曇りなき眼」を持てるよう、自分に、人に、自然に、感謝して生きるを心掛けましょう☆


良かったら押して下さい☆

健康ブログ 気功

人気ブログランキング

スピリチュアル/アンチエイジング ランキング





2012年7月4日水曜日

慈愛に満ちた無着成恭師の教え-根源(神様)への道☆

私が小学生だった頃、担任だった無着成恭師が教室で生徒達に話してくれたことです。

無着先生は特徴ある山形弁でこう話し始めました。

「皆さんが、お母さんに頼まれて夏の暑い日におばさんの所に荷物を届けました。おばさんはおしぼりと冷たいお茶を出してくれました。皆さんは、それに対して「有難うございます」とお礼を言いますよね。そのお礼はおばさんに対して言うのですか?それだけですか?」

そして、生徒達の反応を見ながら続けました。

「おばさんに対してお礼を言う、は普通の子です。この世の物は、おしぼりもお茶もコップも全て人によって作られた物です。先生は皆さんに、その"目に見えない物や人の陰に向かって頭を下げられる人"になってもらいたいのです。そういう人が本当の賢い人なのです。是非、あなた方にはそのような賢い人間になってほしいと思います。」

にこやかに、一人一人の顔を見ながら・・・。

「教師とは、先生の頭を飛び越えて子供達が高みに上ってくれる!が嬉しいのですよ。そんな職業は他にはありませんから先生は本当に幸せです。先生も頑張りますから、皆も頑張って下さい。」

私は、ずっとこの話を心に留めて人生を歩んでおりました。

私がクンダリニー覚醒後に、全ての人、物にはオーラがあり、エネルギーがあると目で見ることが出来た時、かつて無着成恭師のお話された本当の意味を理解したのです。

その時に理解出来なくとも、心に刻んでいれば、本当の理解が出来る時がくる!と認識してみると、日常的にそのようなことは沢山ありますよね。


また無着先生は、日常的に皆が捨てた小さくなった鉛筆を拾い、鉛筆ホルダーをつけて使っていました。

私が見ていると・・・

「勿体無いよね、まだ充分使えるのに捨ててしまうなんて。先生はお陰で鉛筆を買ったことがないんだよ。」

と私の頭を撫でながら

「賢い人になるんだよ!」

とじっと私の目を見て優しく頷いていました。

無着先生は僧侶ですので「神様」とか「愛」や「愛の気」などという言葉は使いませんでしたが、その時の無着先生の目は正に「愛を通して見る目」であり、「愛の気」であり、昔も今も慈愛の目を、先生は持ち続けています。

無着先生の口癖の「勿体無い!」という「愛の気」は、私の心の奥深くに浸透しており、私の温かい永遠の宝の一つとなっています。

このように、人は「愛の気」に触れた時、出会った時には、心の奥底(宇宙の愛の源、神様)に向かって愛の気が浸透し、根源(神様)への道筋を感じさせてもらえるのです。

それはまるで、少し大きすぎる食物を飲み込んだ時、喉から胃に到達するまで認識出来る!にちょっと似ており、ゆっくりと愛の気が心から浸透する!を感じることが出来ます。

愛の気は、この世から宇宙へ、宇宙からこの世へ、貴方の心を通して流れています。

愛の気を感じることは神様へ通じる道です。

魂磨きのためにも、先生から教え子へ、また親から子へ、愛の気の連鎖を伝えていきたいものですね☆


良かったら押して下さい☆

健康ブログ 気功

人気ブログランキング

スピリチュアル/アンチエイジング ランキング