無着先生は特徴ある山形弁でこう話し始めました。
「皆さんが、お母さんに頼まれて夏の暑い日におばさんの所に荷物を届けました。おばさんはおしぼりと冷たいお茶を出してくれました。皆さんは、それに対して「有難うございます」とお礼を言いますよね。そのお礼はおばさんに対して言うのですか?それだけですか?」
そして、生徒達の反応を見ながら続けました。
「おばさんに対してお礼を言う、は普通の子です。この世の物は、おしぼりもお茶もコップも全て人によって作られた物です。先生は皆さんに、その"目に見えない物や人の陰に向かって頭を下げられる人"になってもらいたいのです。そういう人が本当の賢い人なのです。是非、あなた方にはそのような賢い人間になってほしいと思います。」
にこやかに、一人一人の顔を見ながら・・・。
「教師とは、先生の頭を飛び越えて子供達が高みに上ってくれる!が嬉しいのですよ。そんな職業は他にはありませんから先生は本当に幸せです。先生も頑張りますから、皆も頑張って下さい。」
私は、ずっとこの話を心に留めて人生を歩んでおりました。
私がクンダリニー覚醒後に、全ての人、物にはオーラがあり、エネルギーがあると目で見ることが出来た時、かつて無着成恭師のお話された本当の意味を理解したのです。
その時に理解出来なくとも、心に刻んでいれば、本当の理解が出来る時がくる!と認識してみると、日常的にそのようなことは沢山ありますよね。
また無着先生は、日常的に皆が捨てた小さくなった鉛筆を拾い、鉛筆ホルダーをつけて使っていました。
私が見ていると・・・
「勿体無いよね、まだ充分使えるのに捨ててしまうなんて。先生はお陰で鉛筆を買ったことがないんだよ。」
と私の頭を撫でながら
「賢い人になるんだよ!」
とじっと私の目を見て優しく頷いていました。
無着先生は僧侶ですので「神様」とか「愛」や「愛の気」などという言葉は使いませんでしたが、その時の無着先生の目は正に「愛を通して見る目」であり、「愛の気」であり、昔も今も慈愛の目を、先生は持ち続けています。
無着先生の口癖の「勿体無い!」という「愛の気」は、私の心の奥深くに浸透しており、私の温かい永遠の宝の一つとなっています。
このように、人は「愛の気」に触れた時、出会った時には、心の奥底(宇宙の愛の源、神様)に向かって愛の気が浸透し、根源(神様)への道筋を感じさせてもらえるのです。
それはまるで、少し大きすぎる食物を飲み込んだ時、喉から胃に到達するまで認識出来る!にちょっと似ており、ゆっくりと愛の気が心から浸透する!を感じることが出来ます。
愛の気は、この世から宇宙へ、宇宙からこの世へ、貴方の心を通して流れています。
愛の気を感じることは神様へ通じる道です。
魂磨きのためにも、先生から教え子へ、また親から子へ、愛の気の連鎖を伝えていきたいものですね☆
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