2012年8月30日木曜日

クンダリニー覚醒と霊格(霊性)の向上☆

最近インターネット上でよく「クンダリニー覚醒法」や「チャクラ開発法」といったものを目にします。

かつて地下鉄サリン事件を起こした宗教団体オウム真理教では特にクンダリニーの覚醒やチャクラの開発が重要視されていたようで、その後分派した団体でもインターネット上でwebサイトを見るとそれは引き継がれているようです。

また、ヨガ道場や気功教室でもそういったことを謳っているところが最近目につきます。

呼吸法や瞑想等、ヨーガや気功の技法を用いてチャクラやクンダリニーを技術的に半ば無理やり開発しようとすれば、時間はかかったとしても出来ないことはないかもしれません。

しかし、霊格(霊性)の向上を伴わないままにチャクラやクンダリニーを開発しようとすることは、言ってみれば、軽自動車にジャンボジェット機のジェットエンジンを搭載しようとしているようなもので、大変危険なことです。

結果は、オウム真理教を見れば一目瞭然でしょう。

超常の力に憧れ、テクニカルな訓練を積めばその力が手に入ると吹き込まれた多くの未熟な若者達がのめり込み、その結果、彼らの中では殺人やテロ行為まで正当化されていきました。

高学歴の若者が多かったことも一因でしょう。

勉学という地道な積み重ね作業が得意な彼等にしてみれば、地道な反復訓練を繰り返すヨーガの技法で手に入る力というのは、試験で良い成績を取るための勉強をすることと本質的に何ら変わらなかっただろうと思います。


私がイギリスにいた時、私のクリニックにクンダリニー覚醒に失敗したと思われる人がやって来たことがありました。

その人は40歳くらいの西洋人の男性で、インドであるグルについて修行していたのを、途中からグルのもとを離れて自分だけで修行するようになり、その後クンダリニーが覚醒しかけたそうです。

ところが、頭部まで上昇したエネルギーが出て行かなくなり「頭が焼けるように熱くて痛い」「苦しくてたまらない」「死にそうだ」ということでした。

しかし、時既に遅く、脳が焼き切れてしまった状態のようで「サイババにここへ行けと言われたから来た」その他支離滅裂なことを口走るまで悪化していて手が付けられなかったため、申し訳なかったのですが私の手には負えず、入院を勧めてお断りしました。

霊格(霊性)の向上を伴わない、単なるチャクラ開発やクンダリニー覚醒は、このように制御不能で分不相応なものを本人に背負わせることです。

当の本人は力さえ手に入れば良いと思うかもしれませんが、魂のレベルが伴わないのにそのような力を持ってしまうと、その人は周囲だけでなく自分自身をも滅ぼしてしまいます。

だからこそ、そこに到達するには絶対的に魂磨き、霊格(霊性)の向上が必要なのです。

私がいつも、クンダリニー覚醒やチャクラ開発といった技術的なお話をほとんどすることなく、それよりも「生き方」「幸せとは何か」「魂磨き」「霊格(霊性)の向上」といったことばかりお話するのはそのためです。


貴方の周囲にもしクンダリニー覚醒を謳う人がいたら、よく見極めることが大切です。

覚醒と言うにはほど遠い、少しクンダリニーエネルギーが上昇したくらいでも、神秘的な体験をすることはあり、同時に何かしら超常的な力を発揮することがあります。

その人の日常生活はどうでしょうか。

日常生活の中で魂磨きを実践し、霊格(霊性)の向上を本当に意識して今世を生きている人でしょうか。

制御不能な、分不相応な力を得ている場合、それは必ずその人の日常生活に現れています。


科学や技術も、心が伴わない悪魔のような人間がその力を悪用すればとんでもないことになります。

遺伝子操作、コンピューターハッキング、生物兵器、核兵器・・・。

どれも基となる科学技術は素晴らしいものですが、悪用する人間がいるととんでもないことになります。

身近なところではお金だってそうでしょう。

お金自体に罪はありません。

しかし、悪魔のような人間が大金を手にすればどう悪用されるか判ったものではありません。

霊格(霊性)の向上を伴わない、単なる技術的なチャクラ開発やクンダリニー覚醒は、いわば悪魔にとんでもない武器を与えることと同じです。

霊格(霊性)の向上が必要だからこそ、その壁を超えられる人は極めて少なく、無理やり超えようとすると前述のような弊害が起きるよう予め組み込まれているのだろうとも思います。


技術的にどういうプラーナルートを開発するとか、どうエネルギーを通すとか、そのようなことは瑣末なことです。

人は、その前にやるべきことがたくさんあります。

チャクラ開発やクンダリニー覚醒は、魂磨きの結果、自然に得られる「結果」であり、それを「目的」にしてしまうことは本末転倒です。

「力」は、その人にその力が必要な「時期」がくれば自然に身に付きます。

より多くの方が、魂磨きの大切さ、日常の中にこそ魂の修行のチャンスがある、と気付かれることを祈っています☆


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2012年8月27日月曜日

クンダリニー覚醒以後の私☆

クンダリニーが覚醒した後、元々おとなしい聞き役だった性格は、元気で明るく話す方が多くなり、また飲み物の好みも変わりました。

そして、人にも、流れる雲にも、家にも、ゴミ箱にも、オーラがあり、気をかけるとそれがより光るを見ることとなりました。

また、クンダリニーの覚醒後、時々私の足元から小さな光の光体が現れるようになりました。

その可愛い光体は私の周りをとことこと歩き回り、しばらくすると再び足から体内に戻ってくるのですが、光体は現れるたびに少しずつ成長しているようです。

光体と言えばもう一つ。

私の肉体よりも大きな光の光体が現れます。

ある時、実験的に別の気功師の光体と私の光体とを入れ替えてみようと試したことがありましたが、光体に拒否されてしまいました。

その光体は本人の光の分身らしく、それを他人同士で入れ替えるというのはちょっと無理なようです。

時々、私が人と笑いながら話していたりすると、その話し相手の光体が現れる事があります。

そんな時、その人の肉体は今充電中だと感じます。

人は、私と会ってリラックスしている時や楽しんでいる時、緊張のロックを解いて充電するようで、充電し終ると、再び肉体を守る為に体内に戻るようです。

そんな時、その人の顔は穏やかで若々しくなります。

ちょうど人が恋をすると、顔が変わり恋顔に輝くように。

恋をしている時は恋エネルギー充電をしているのだと思います。

特に女性は、心弾む恋をしていると綺麗な顔になりますよね。

気エネルギーの充電、放電による体内変化や、気の質の重要性、気エネルギーが流れるスペースの必要性、その他もろもろの現実を見たり、感じたり、整えたりすることは、反省瞑想同様、私の日常となりました。


私は今、思います。

日常の中に幸せが溢れているのに、見つけられない人の多いこと。

見える世界の幸せから、見えない世界の幸せまで、幸せとは広く深く幅があります。

どの幸せも、見つけたらその幸せを抱きしめて、幸せ波動が浸透するまで身も心も幸せに包まれて下さい。

私がクンダリニーの覚醒によって得られた最大の変化は、常に幸せ波動に体が包まれているという事実です。

もし貴方がまだ幸せが見つけられないのなら、見つける為の感性を磨く努力が必要でしょう。

それは日常の中にこそあり、日常的感性を高めれば、必ず手に入ります。

普通に存在する事柄に感謝のまなざしを向けて、笑顔で努力してみて下さい。

そうすれば、たとえどんな人生でも常に幸せ波動に包まれた人生が開けていくでしょう。

貴方を幸せにしてくれるのは、物でも、お金でも、他の誰かでもありません。

貴方だけが貴方を幸せに出来るのですから☆


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2012年8月17日金曜日

クンダリニー覚醒以前の私☆

私がよくお話している「生き方」や「幸せ」の考え方は、クンダリニーが覚醒する以前に子供の頃からあったものです。

クンダリニー覚醒以前の私は、元々おとなしい性格で話すよりも聞く方が多い性格でした。

またこれは今もそうですが、自分の直感(インスピレーション)を大切にしており、ほぼ直感(インスピレーション)だけで生きてきたと言えるかもしれません。

そして、自分でこうしたい!と思う事があればすぐ実行に移す「すぐやる課・課長」で、すぐやると同時に創意工夫しながら整えていくタイプでした。

そんなようでしたから結果が世間的には悪いとみなされるようなこともあったと思いますが、それはその時精一杯やった結果ですから悔いはありませんでした。

それは悪いパターンの気付きとなり、今後は繰り返さないように気をつけるが良し、と気持ちを切り替える練習になりました。

幼い頃より、寝る前の反省瞑想でその日の出来事を頭の引き出しに整理整頓して眠ることが習慣でした。

心の整理整頓だけでなく、物理的な身の回りも整理整頓するが習慣でしたので、まさに今この瞬間に死んだとしても悔いは無い!という生き方を常々意識的にしていました。

我ながら少し普通の子と違っていたかなと思うのは、暗闇でも相当に夜目が利くことと、聴覚が並はずれて良かったことでしょうか。

また、頭の中に写真と同じように見たものを明確に再現する映像記憶能力が高かったことも他の子供とは少し違っていたようです。

私が気功師になったのは大人になってからですが、子供の頃から、手が冷たい冷え性の子がいれば両手をかざすだけで(触らずに)暖めては「触ってもないのに何故!?」と驚かれたり、肩が凝った人の肩をほぐしたりすると「貴方がちょっと触ってくれるだけで何故こんな楽になるの!?」と重宝がられ喜ばれていました。

人よりも自然の方が大好きで、本当の自分、魂としての自分は、肉体的自分に寄り添いながら生きていました。


「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」という有名な名言がありますが、私には、この世も「参加することに意義がある」という意識が子供の頃からずっとあります。

こんなことがありました。
小学2年生の時、とある地方で一番大きな旅館に家族で泊まった時のことです。

私は廊下でたまたまその旅館の女将さんに出会い、少し立ち話をしました。
女将さんは子供の私に何かを感じたのか、両親の所へ行き

「この子をこのままうちに置いていって欲しい。決して悔いの残らない人生を送れるように、立派な後継者の女将に育て上げますから」

と頭を下げられました。

女将さんには子供がいなかったらしく、突然の申し出に両親はびっくりしましたが、両親は一応私に
「女将さんがこう言っているんだけど、貴方はどうする?」
と聞きました。

私は
「私はここの子になる!」
と答えました。

両親は絶句し、その後母が
「ママ達は帰っちゃうのよ?貴方はここに一人で残るってことなのよ?」
と言いました。

私はこともなげに
「良いよ」
と答えました。

それを聞いた母は、淡々と
「はい、じゃあこの話はこれでお終い」
と言いました。

私も母がそう言ってお終いにしたので興味も無くなりそれ以上何も言わず、結局その話は無くなりました。

私が家庭環境に恵まれておらず、他家に行きたかったのかと言うと全くそうではありません。

私は幸いなことに恵まれた家族に囲まれていましたので不満など全くなく、両親や家族は大好きでした。

しかし仮に、突然「今日でお別れね」となったとしても大好きな家族のことは忘れませんし、いつでも笑って「バイバイ!」と言える感覚で、どこかで(この世でもあの世でも)元気で幸せに過ごしてくれていればそれで十分でした。

父や母が今の父や母ではなく、別の父や母になったとしてもそれはそれで面白いと思いましたし、全く違う家の子供になって生きる場所が変わっても、そしてそれが仮に酷い場所だったとしても自分は必ず自分を生かすことの出来る人生を送る(元気で幸せに)、と思ったものです。

他にも同じようにうちの子供にしたいという話を持ち掛けられたことがあり、その時もやはり私の反応は同じでした。

なぜそうなのかというと、「この世は参加することに意義がある」からです。

だからどこにいても、誰のもとでも魂は磨けますし、環境が変化すればするほど経験豊かになれます。

この世では魂の経験を積むことが目的であって、この世的な勝ち負けは関係ありません。

何かに勝っても負けてもその結果を自分の中で生かしてくれば良く、それがこの世に生まれてきて本当に勝つということ、人生で成功するということなのです。

だから、失恋したり、学業や事業で失敗したり、何かを失ったり、嫌な目にあったりの数々の経験はとても貴重なものであり、その価値は「災い転じて福となす」ことが出来るかどうか、貴方の中でそれを魂磨きに活用出来るかどうかにかかっています。

そのように活用できた魂磨きの経験は、必ず貴方の業(カルマ)に良い影響を与え、貴方自身をさらなる高みに練り上げていってくれるでしょう。

もちろん一方で、幸福な時にはその幸福を周囲に分け合う「幸せのおすそ分け」も忘れずに。

そうすれば貴方の幸せ波動に惹かれて次第に周囲には幸せな人が増えていくでしょう☆


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2012年8月4日土曜日

クンダリニーの覚醒と今年の贈り物は白龍☆

よく輪廻転生のお話をしますが、今生においても、人は、いつでも生まれ変わることが出来ます。

毎日、いや毎朝、生まれ変わっているとも言えます。

人は一生のうちで何度でも生まれ変わることが出来るのです。


"人間は、毎日生まれ変わる"
(ジャン・コクトー)

"毎晩眠りにつくたびに私は死ぬ。そして翌朝目をさますとき生まれ変わる"
(マハトマ・ガンジー)

"生まれ変わることは簡単だ、己を見つめ直す勇気さえ持てればいい"
(セオドア・ルーズベルト)


私も魂磨きをしながら毎日少しずつ生まれ変わっている自覚がありますが、中でも最も大きな生まれ変わりを経験したのが、イギリスに住んでいた時のクンダリニーの覚醒でした。

私はその日を、私の2回目の誕生日と呼んでいます。

1回目の誕生日、まだ胎児だった私は、くるくると回転しながら狭いトンネルのような産道を通り、光に向かって少しの魂の記憶を持ってこの世に生まれました。

光の世界に生まれ出ると、人達が赤子の私を喜びと共に迎えてくれました。

物心付いた頃、一日の終わりには感謝の祈りと共に反省瞑想を毎日行い、天が私の本当の居場所と認識していました。

いつか本当の私の居場所に還る日を楽しみにするあまり、この世にいる事が淋しいと感じる時期もありました。


そして成人の後、イギリスに住んでいた私に2回目の誕生日が訪れました。

その時には何の知識も無く、自分に一体何が起きたのか判りませんでしたが、後になってそれがクンダリニーの覚醒と知りました。

クンダリニーが覚醒した時には、書物等に書いてあるのと同じように、本当に尾てい骨の辺りから凄まじいエネルギーが上昇し始め、そのエネルギーが体の中をらせん状に渦巻きながら頭頂まで上がっていき、天に抜けていきました。

体内エネルギーが外に(特に上に向かって)湧き出ている状態で、面白いことに少し深く呼吸するだけで着ている洋服がふわっと持ち上がり、浮いたままになってしまいました。

また、特に手足の末端から体内エネルギーが湧き出すようで、手のひらと足の裏がむず痒くてたまりませんでした。

そして、このクンダリニーの覚醒という神の介入により全く違う人生を歩くために私が再び生まれ変わった時、天上界から様々な精霊や神々、それこそ日本の神様、中国の神様、インドの神様、そして見たこともないような外国の神様達がみんな、生まれ変わった私を祝福で迎えてくれました。

私の目からは歓喜の涙が長時間流れ続けましたが、泣いているのに不思議に鼻水は少しも出ませんでした。

この神々から祝福を受けている時、私の体は全身が金色に輝く光の粒子に包まれ、体内エネルギーが渦巻き、湧き上がっている状態で、その時以来、それは今もずっと続いています。

この至福の喜びを頂いた日が、私の記念すべき2回目の誕生日です。


この2回目のお誕生日には、その後も天上界から様々な贈り物を頂きます。

それは、人との出会いであったり、気付きであったり、龍の玉であったり、素敵な言葉であったりします。

私からは、微力ながらお役に立たせて頂ける自分の存在に対して、沢山の人々や精霊達や神々の協力して頂いていることへの感謝の祈りを捧げています。

今年の2回目のお誕生日には、ご近所の神社にお参りしたところ、祈りの最中に凄く大きなエネルギーを感じたので何だろうと思っていると大きな白龍がやって来てくれました。

今も我が家の上を飛んでいて、守ってくれているようです。

私の大切な2回のお誕生日に感謝です☆


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