2012年1月31日火曜日

業(カルマ)と瞑想☆

誰もが持っているいわゆる前世からの業(カルマ)というものがあります。

過去世において自分自身が為した事が業(カルマ)となり、それを解消しないまま今世に持ってくると、結果として表れます。

理屈っぽい話になってしまいますが、業(カルマ)という概念は、ご存知のようにもともとヴェーダやウパニシャッドに代表されるインド哲学にあったもので、輪廻転生の原動力とされているものです。

日本人に馴染みの深い、後に発達した仏教では、業(カルマ)は身業、口業(語業)、意業というように、肉体による業、言葉による業、意識による業に分類され、細分化されています。

弘法大師空海が中国から日本に伝えた密教(真言密教)は、仏教史の中でも最後に登場したとされている後期大乗仏教のため、その辺りがさらに緻密です。

真言密教では、修行者が身口意の三業を清め、仏の身密、口密、意密の三密(仏の身、口、意の秘密のはたらき)と一体となる瞑想法(入我我入観)が、一番の基本であると同時に大きな特徴とされています。

「入我我入」とは、仏と自分の区別が消えて一体となった境地で、仏が自分に入り自分が仏に入るという意味です。

真言密教では、「仏」という存在を「仏陀」や「釈尊」という個別の存在ではなく「宇宙の真理そのもの」と定義していて、その代表が大日如来であり、胎蔵界曼荼羅にも金剛界曼荼羅にも中心に大日如来が描かれています(胎蔵界曼荼羅では中台八葉院、金剛界曼荼羅では根本成身会のそれぞれ中心に)。

真言密教の基本の瞑想法には大日如来を表す梵字の「阿字」を使った「阿字観」という瞑想法がありますが、それは「入我我入」の基本であり、同時に本質であるとも言えるでしょう。

密教は、仏教がインドで衰退していく中でバラモン教(古代ヒンドゥー教)を取り入れて発達したもので、ヴェーダ時代からのバラモン教の修行法だったヨーガも同じく取り入れています。

そのため、ヨーガで最高の境地とされる「梵我一如」(梵=ブラフマン=宇宙の根本原理と我=アートマンが同一であること)と、真言密教の「入我我入」は密接な関係があり、それらはともに瞑想によって到達するものなのです。

仏教の開祖釈尊が悟りを開いた時にも、苦行を止め、やはり瞑想によって解脱したとされています。
釈尊の瞑想がどのような瞑想だったのか、今では知るよしもありません。
天上界、人間界を始め、もはやどの世界にも次の生を受けることが無い、とまで宣言したそうですから、輪廻転生が止むところまで業(カルマ)を清め切ったということでしょう。

自分自身の業(カルマ)を如実に知る鍵は、やはり瞑想なのです。
答えは自分自身の中にあります。
難しい瞑想をする必要はありません。
まずは毎日の反省瞑想をおススメします☆

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