一人暮らしでない場合、自治体は通報があっても緊急性が低いとみなしがちで、どうしても対応が遅れ気味であるとのこと。
全国の都道府県営住宅では、年間400名位の孤独死があるそうです。
最近は、自分の死に対して「子供や他人に迷惑をかけたくない」と考え、生前、葬儀から遺品整理、住まいの現状回復まで依頼しておく方が結構いらっしゃるようです。
そういう方の場合の孤独死は、余裕を持って死を迎えられる自ら望んだ「覚悟の孤独死」であり、自然死を一人静かに受け入れる、を望んでいるのだと思います。
ロンドンにいた頃、お向かいの家に90代のお婆さんが一人暮らしをしていました。
私は、そこに引越したばかりで早速挨拶に行ったのですが、対応に出ていらしたのは地域から派遣されたクリーナーさんでした。
私の挨拶に対してクリーナーさんは
「本人はほとんど寝たきりですので私から伝言します」
ということでした。
その後、クリーナーさんが掃除中にお婆さんの座っていた椅子が庭で倒れ
「助け起こすのに手を貸してほしい」
と言われてお婆さんを助け起こした際、ご本人と少々雑談しました。
それで知ったのですが、お婆さんには身内が何人かいましたが、身内には財産を残さず国に全財産を寄付し、病院に入院することも選択せず、一人自宅で静かに死を迎えることを選択したということでした。
それによって、クリーナー、ヘルパー、病院の送迎まで全て行政がみてくれるということでした。
これこそまさに自ら望んだ「覚悟の孤独死」への準備でしょう。
イギリスでは、このような「覚悟の孤独死」の準備が出来ない人の場合は、身内とご近所と行政の連携で助け合っているようです。
イギリスでは、事前にあらゆるケースを考慮して関係者間できちんと話し合いが出来ていたり、もし本人の現状が把握出来ない状態になった時には行政の現場担当者が部屋に踏み込む権限を持っていたり、その他にも様々な助けを求めてくる弱者に優しい環境がありました。
一方、日本では行政の制度上イギリスに比べてまだまだ不十分である上に、地震、津波、電力不足、就職難、経済不安等々、皆が様々なストレスを抱えてお互い心の余裕もないため、個人個人がよりしっかりと声を表に出さなければ周囲には伝わりません。
イギリスで見たような自ら望んだ「覚悟の孤独死」ではなく、本来意図していない「不慮の孤独死」や「孤立死」を避けたいのであれば、日頃の暮らしの中で助けて欲しい時にはきちんと声に出すなり、代わりに自分の出来ることを提供するなり、もっと意識的にご近所との付き合いを重ねる「おたがいさま」という日本人的精神を取り戻すことが大切と思います。
生きるに辛い時代だからこそ、一人では困難なことを分かち合い助け合って、自分の死を、隣人の死を迎え入れたいと思います。
その人の死はその人の言動の結果であるのですから、今回報道された「孤独死」「孤立死」について我々は「明日は我が身」と置き換え、考えを新たにするチャンスを得たのだと思います。
最後に自分はどういう死を選びたいのか?
充分準備出来た「覚悟の孤独死」を選びたいのか?
準備出来ていなかった「不慮の孤独死」「孤立死」を選びたいのか?
どちらを選択したいのか、という声を是非自分自身で聞いて欲しいと思います。
貴方が貴方の声を聞いて初めて、本当の意味で他者との関係を築いていけるのですから。
それが出来る人が増えれば「おたがいさま」の精神がもっと広がることでしょう☆
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