先日、実に4年振りにジャズシンガーの旗照夫さんと再会し、以前も一緒にお食事をしたホテルオークラでランチをしました。
ホテルオークラでは毎年数百人規模でバースデーコンサートをなさったり、別の会合でもよくいらっしゃったりされているようです。
"今年歌い始めて60周年!暦が組み合わせを全て終えて元に戻る還暦であり、もう一度初めに戻ったつもりでやり直そうと思っている!"
とのこと。
来週の10月4日水曜日には32年振りに「徹子の部屋」にご出演されるそうで、黒柳徹子さんとは同い歳だとか。
また今年の12月5日には、デビュー60周年のバースデーコンサートをホテルオークラ「平安の間」でなさるそうです。
90歳になった時に、今までで一番「いい歌」が歌える自分になっていたいと逆算して「今日」を生きていると。
その為に年間仕事量も決めて、生活状況管理に注意されているようで、健康と友人仲間が一番大切だとしみじみとお話されていました。
以前、ご一緒に石井好子さんのライブに伺った時の話題になり「彼女が(2年前に)亡くなって寂しくなったよ。あの時は彼女のやっていたシャンソン協会のまとめ役を少し手伝ったりしたなあ」と、改めて友人仲間に想いを馳せていらっしゃるようでした。
4年前には水を飲んでも太る体質だと嘆いていましたが、今回お目にかかった時には以前よりも相当すっきりされて、若々しく華やか印象!
旗照夫さんの120名程のライブには度々足を運びましたが、何時も変わらずアットホームな心地良さがあり人柄そのままの雰囲気でした。
私がライブに伺う時のリクエストは「黒い瞳のナタリー」なのですが、その話になると「黒い瞳のナタリー」を、またインターネットで拝見した「ブルーハワイ」のお話をすると「ああ、NHKのね」と言われ「ブルーハワイ」を、カラオケでも絶対に歌わない旗さんがそれぞれ生歌で少し歌って下さり、とても嬉しく思いました。
普段の心の持ち方が細心で、「心配り 気配り 目配り」がとてもある方です。
旗照夫さん同様、ある有名旅館の女将さんにもそれを感じます。
この女将さんは多忙の中をわざわざ遠方から新幹線に乗って泊まりがけで気功トリートメントにいらっしゃるのですが、気功トリートメントの際の着替えをこちらに宅急便で送ってこられます。
そして、ダンボールだと始末に迷惑をかけるからとその着替えをバッグに入れて送ってこられ、そのバッグは持ち帰る、をなされます。
またある時、前ボタン付きの衣類でしたので、次回からはボタンのない方がやり易いのでお願いしますと言ったところ、即座に前と後ろを入れ替えて「これならボタンが後ろになりますから如何でしょうか?」。。。
この美人で有名な女将さんは国から勲章を二度も頂いていて、著名人にも女将さんのファンがたくさんいらっしゃる方ですが、毎朝全ての新聞に目を通し、知っている方が出ている記事があるとすぐに「拝見しましたよ」「お身体に気を付けて頑張って下さいね」と応援メッセージを送られるそうです。
また、女将さんは一度相手と交わした「約束」をとても大事になさる方で、私のところに予約を入れていたのに急な都合でどうしてもキャンセルしなければならなくなった時などは、わざわざ手書きでお詫びのお手紙と品物を送ってこられます。
「約束」というものに対する考え方、態度が本当にきちんとされていて、やはり旗照夫さん同様「心配り 気配り 目配り」の心掛けのある方です。
旗照夫さんにも女将さんにも共通しているのは、普段の生活の中での「意識」と「行動」です。
神や仏に祈る時だけいくら意識を高めたところで、それが普段の「意識」と「行動」に「習慣」として表れていなければ何の意味もありません。
私が、日常生活での心構え、意識の大切さについて繰り返しお話するのはそのためです。
「今を最高に生きる」「心配り 気配り 目配り」のある人生の大先輩との共有時間は、「お互いさま」のはっきりとした意志や決意のもと、共に進歩発展を感じさせてもらえます。
旗照夫さんの「90歳の歌」を楽しみに、私も共に頑張ろう!と思ったランチでした☆
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2012年9月29日土曜日
2012年9月9日日曜日
両足切断の元F1ドライバー、アレックス・ザナルディがロンドンパラリンピックで金メダル☆
先日開催されたロンドンオリンピック、どの選手達の活躍も見事でしたね!
そして今度はちょうど今日までロンドンパラリンピックが開催されています(明日は閉会式)。
そんな中「両足切断の元F1ドライバー、アレックス・ザナルディ(アレッサンドロ・ザナルディ)がロンドンパラリンピックで金メダル」というニュースを見ました。
私はモータースポーツには全く疎いのですが、このアレックス・ザナルディ(アレッサンドロ・ザナルディ)という選手は、1991年~1994年、そして1999年にF1ドライバーとして活躍し、CARTでは2度シリーズチャンピオン(1997年、1998年)に輝いた凄いレーシングドライバーだそうです。
どうしてそんな人がパラリンピックに?
と疑問に思い、ちょっと調べてみると・・・。
なんと、そのアレックス・ザナルディ(アレッサンドロ・ザナルディ)選手は、2001年のレース中に両足を大腿部から切断するという大事故に見舞われたそうです。
出血多量で瀕死の重症を負ったそうですから、普通ならこの時点で失意の中引退してしまうでしょう。
ところが、彼は20ヶ月後には再びドライバーとして復帰しました。
それも、事故のあったラウジッツリンクというサーキットで特別仕様のマシンに乗り込み、前年のレースの残り周回を走り切ったそうです。
自分自身、一つのけじめをつけるため、そして事故の幻影や恐怖に打ち勝つために敢えてそうしたのだろうと思います。
そして、2003年~2009年まで再度レーシングドライバーとして活躍し、2009年からはその数年前から取り組んでいたハンドサイクルに本格的に転向して、今回のロンドンパラリンピックでイタリア代表に選ばれ、見事金メダルを獲得したそうです。
それも、今日の最新ニュースでは「ハンドサイクル・タイムトライアル、ハンドサイクル・ロードレースの2種目で金メダルを獲得、チームリレーは銀メダルを獲得」だとか!
なんという強靭な意志の人でしょう!
その彼のコメントは、本当に示唆に富んでいます。
"いつもどおりラッキーだった"
"僕は人生からたくさんの物を得てきた。幸運の女神が次々にいろんなものを与えてくれる。本当に感謝するばかりだ"
これが今から11年前に大事故で両足を失った人の言葉なのです。
レーシングドライバーの世界の頂点で両足を失いながらも、そのハンデをものともせずに現役復帰し、頂点のF1ではないけれども自分が戦える舞台、自分を生かせる舞台で再度自分を生かした人。
そしてその後、機械ではなく純粋に肉体で勝負する全く新しい舞台にチャレンジし、さらにそこでも世界の頂点を目指した人。
結果、彼は新しい舞台でも本当に頂点を極めました。
"いつもどおりラッキーだった"
"僕は人生からたくさんの物を得てきた"
"幸運の女神が次々にいろんなものを与えてくれる"
"本当に感謝するばかりだ"
彼の言葉には、自分を幸せにする秘訣が溢れています。
世の中には両足を失った時点で悲観する人が多いでしょう。
両足を切断されるところまでいかなくても、仕事が無いから、物事がうまくいかないから、愛されないから、病気だから・・・という理由で自分は不幸だと感じている人が多いのではないでしょうか。
しかし、自分自身が物事の見方を変えるだけでこれだけ前向きな人生が開けるのです。
彼は本当にラッキーだっただけだと思いますか?
ラッキーなだけでこれだけのことを成し遂げられると思いますか?
実際そこには信じられないような努力があったはずです。
レーシングドライバーとして世界の頂点を極める過程でも、再度レーシングドライバーとして復帰する過程でも、ハンドサイクルで金メダルを取る過程でも、彼は常にぎりぎりの努力を続けてきたことでしょう。
自分が受けた体験に感謝し、自分を愛し、自分を信じて。
世界中の多くの人々にそれを教えてくれたアレックス・ザナルディ(アレッサンドロ・ザナルディ)選手に、惜しみない拍手を送りたいと思った一日でした☆
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そして今度はちょうど今日までロンドンパラリンピックが開催されています(明日は閉会式)。
そんな中「両足切断の元F1ドライバー、アレックス・ザナルディ(アレッサンドロ・ザナルディ)がロンドンパラリンピックで金メダル」というニュースを見ました。
私はモータースポーツには全く疎いのですが、このアレックス・ザナルディ(アレッサンドロ・ザナルディ)という選手は、1991年~1994年、そして1999年にF1ドライバーとして活躍し、CARTでは2度シリーズチャンピオン(1997年、1998年)に輝いた凄いレーシングドライバーだそうです。
どうしてそんな人がパラリンピックに?
と疑問に思い、ちょっと調べてみると・・・。
なんと、そのアレックス・ザナルディ(アレッサンドロ・ザナルディ)選手は、2001年のレース中に両足を大腿部から切断するという大事故に見舞われたそうです。
出血多量で瀕死の重症を負ったそうですから、普通ならこの時点で失意の中引退してしまうでしょう。
ところが、彼は20ヶ月後には再びドライバーとして復帰しました。
それも、事故のあったラウジッツリンクというサーキットで特別仕様のマシンに乗り込み、前年のレースの残り周回を走り切ったそうです。
自分自身、一つのけじめをつけるため、そして事故の幻影や恐怖に打ち勝つために敢えてそうしたのだろうと思います。
そして、2003年~2009年まで再度レーシングドライバーとして活躍し、2009年からはその数年前から取り組んでいたハンドサイクルに本格的に転向して、今回のロンドンパラリンピックでイタリア代表に選ばれ、見事金メダルを獲得したそうです。
それも、今日の最新ニュースでは「ハンドサイクル・タイムトライアル、ハンドサイクル・ロードレースの2種目で金メダルを獲得、チームリレーは銀メダルを獲得」だとか!
なんという強靭な意志の人でしょう!
その彼のコメントは、本当に示唆に富んでいます。
"いつもどおりラッキーだった"
"僕は人生からたくさんの物を得てきた。幸運の女神が次々にいろんなものを与えてくれる。本当に感謝するばかりだ"
これが今から11年前に大事故で両足を失った人の言葉なのです。
レーシングドライバーの世界の頂点で両足を失いながらも、そのハンデをものともせずに現役復帰し、頂点のF1ではないけれども自分が戦える舞台、自分を生かせる舞台で再度自分を生かした人。
そしてその後、機械ではなく純粋に肉体で勝負する全く新しい舞台にチャレンジし、さらにそこでも世界の頂点を目指した人。
結果、彼は新しい舞台でも本当に頂点を極めました。
"いつもどおりラッキーだった"
"僕は人生からたくさんの物を得てきた"
"幸運の女神が次々にいろんなものを与えてくれる"
"本当に感謝するばかりだ"
彼の言葉には、自分を幸せにする秘訣が溢れています。
世の中には両足を失った時点で悲観する人が多いでしょう。
両足を切断されるところまでいかなくても、仕事が無いから、物事がうまくいかないから、愛されないから、病気だから・・・という理由で自分は不幸だと感じている人が多いのではないでしょうか。
しかし、自分自身が物事の見方を変えるだけでこれだけ前向きな人生が開けるのです。
彼は本当にラッキーだっただけだと思いますか?
ラッキーなだけでこれだけのことを成し遂げられると思いますか?
実際そこには信じられないような努力があったはずです。
レーシングドライバーとして世界の頂点を極める過程でも、再度レーシングドライバーとして復帰する過程でも、ハンドサイクルで金メダルを取る過程でも、彼は常にぎりぎりの努力を続けてきたことでしょう。
自分が受けた体験に感謝し、自分を愛し、自分を信じて。
世界中の多くの人々にそれを教えてくれたアレックス・ザナルディ(アレッサンドロ・ザナルディ)選手に、惜しみない拍手を送りたいと思った一日でした☆
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2012年8月30日木曜日
クンダリニー覚醒と霊格(霊性)の向上☆
最近インターネット上でよく「クンダリニー覚醒法」や「チャクラ開発法」といったものを目にします。
かつて地下鉄サリン事件を起こした宗教団体オウム真理教では特にクンダリニーの覚醒やチャクラの開発が重要視されていたようで、その後分派した団体でもインターネット上でwebサイトを見るとそれは引き継がれているようです。
また、ヨガ道場や気功教室でもそういったことを謳っているところが最近目につきます。
呼吸法や瞑想等、ヨーガや気功の技法を用いてチャクラやクンダリニーを技術的に半ば無理やり開発しようとすれば、時間はかかったとしても出来ないことはないかもしれません。
しかし、霊格(霊性)の向上を伴わないままにチャクラやクンダリニーを開発しようとすることは、言ってみれば、軽自動車にジャンボジェット機のジェットエンジンを搭載しようとしているようなもので、大変危険なことです。
結果は、オウム真理教を見れば一目瞭然でしょう。
超常の力に憧れ、テクニカルな訓練を積めばその力が手に入ると吹き込まれた多くの未熟な若者達がのめり込み、その結果、彼らの中では殺人やテロ行為まで正当化されていきました。
高学歴の若者が多かったことも一因でしょう。
勉学という地道な積み重ね作業が得意な彼等にしてみれば、地道な反復訓練を繰り返すヨーガの技法で手に入る力というのは、試験で良い成績を取るための勉強をすることと本質的に何ら変わらなかっただろうと思います。
私がイギリスにいた時、私のクリニックにクンダリニー覚醒に失敗したと思われる人がやって来たことがありました。
その人は40歳くらいの西洋人の男性で、インドであるグルについて修行していたのを、途中からグルのもとを離れて自分だけで修行するようになり、その後クンダリニーが覚醒しかけたそうです。
ところが、頭部まで上昇したエネルギーが出て行かなくなり「頭が焼けるように熱くて痛い」「苦しくてたまらない」「死にそうだ」ということでした。
しかし、時既に遅く、脳が焼き切れてしまった状態のようで「サイババにここへ行けと言われたから来た」その他支離滅裂なことを口走るまで悪化していて手が付けられなかったため、申し訳なかったのですが私の手には負えず、入院を勧めてお断りしました。
霊格(霊性)の向上を伴わない、単なるチャクラ開発やクンダリニー覚醒は、このように制御不能で分不相応なものを本人に背負わせることです。
当の本人は力さえ手に入れば良いと思うかもしれませんが、魂のレベルが伴わないのにそのような力を持ってしまうと、その人は周囲だけでなく自分自身をも滅ぼしてしまいます。
だからこそ、そこに到達するには絶対的に魂磨き、霊格(霊性)の向上が必要なのです。
私がいつも、クンダリニー覚醒やチャクラ開発といった技術的なお話をほとんどすることなく、それよりも「生き方」「幸せとは何か」「魂磨き」「霊格(霊性)の向上」といったことばかりお話するのはそのためです。
貴方の周囲にもしクンダリニー覚醒を謳う人がいたら、よく見極めることが大切です。
覚醒と言うにはほど遠い、少しクンダリニーエネルギーが上昇したくらいでも、神秘的な体験をすることはあり、同時に何かしら超常的な力を発揮することがあります。
その人の日常生活はどうでしょうか。
日常生活の中で魂磨きを実践し、霊格(霊性)の向上を本当に意識して今世を生きている人でしょうか。
制御不能な、分不相応な力を得ている場合、それは必ずその人の日常生活に現れています。
科学や技術も、心が伴わない悪魔のような人間がその力を悪用すればとんでもないことになります。
遺伝子操作、コンピューターハッキング、生物兵器、核兵器・・・。
どれも基となる科学技術は素晴らしいものですが、悪用する人間がいるととんでもないことになります。
身近なところではお金だってそうでしょう。
お金自体に罪はありません。
しかし、悪魔のような人間が大金を手にすればどう悪用されるか判ったものではありません。
霊格(霊性)の向上を伴わない、単なる技術的なチャクラ開発やクンダリニー覚醒は、いわば悪魔にとんでもない武器を与えることと同じです。
霊格(霊性)の向上が必要だからこそ、その壁を超えられる人は極めて少なく、無理やり超えようとすると前述のような弊害が起きるよう予め組み込まれているのだろうとも思います。
技術的にどういうプラーナルートを開発するとか、どうエネルギーを通すとか、そのようなことは瑣末なことです。
人は、その前にやるべきことがたくさんあります。
チャクラ開発やクンダリニー覚醒は、魂磨きの結果、自然に得られる「結果」であり、それを「目的」にしてしまうことは本末転倒です。
「力」は、その人にその力が必要な「時期」がくれば自然に身に付きます。
より多くの方が、魂磨きの大切さ、日常の中にこそ魂の修行のチャンスがある、と気付かれることを祈っています☆
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かつて地下鉄サリン事件を起こした宗教団体オウム真理教では特にクンダリニーの覚醒やチャクラの開発が重要視されていたようで、その後分派した団体でもインターネット上でwebサイトを見るとそれは引き継がれているようです。
また、ヨガ道場や気功教室でもそういったことを謳っているところが最近目につきます。
呼吸法や瞑想等、ヨーガや気功の技法を用いてチャクラやクンダリニーを技術的に半ば無理やり開発しようとすれば、時間はかかったとしても出来ないことはないかもしれません。
しかし、霊格(霊性)の向上を伴わないままにチャクラやクンダリニーを開発しようとすることは、言ってみれば、軽自動車にジャンボジェット機のジェットエンジンを搭載しようとしているようなもので、大変危険なことです。
結果は、オウム真理教を見れば一目瞭然でしょう。
超常の力に憧れ、テクニカルな訓練を積めばその力が手に入ると吹き込まれた多くの未熟な若者達がのめり込み、その結果、彼らの中では殺人やテロ行為まで正当化されていきました。
高学歴の若者が多かったことも一因でしょう。
勉学という地道な積み重ね作業が得意な彼等にしてみれば、地道な反復訓練を繰り返すヨーガの技法で手に入る力というのは、試験で良い成績を取るための勉強をすることと本質的に何ら変わらなかっただろうと思います。
私がイギリスにいた時、私のクリニックにクンダリニー覚醒に失敗したと思われる人がやって来たことがありました。
その人は40歳くらいの西洋人の男性で、インドであるグルについて修行していたのを、途中からグルのもとを離れて自分だけで修行するようになり、その後クンダリニーが覚醒しかけたそうです。
ところが、頭部まで上昇したエネルギーが出て行かなくなり「頭が焼けるように熱くて痛い」「苦しくてたまらない」「死にそうだ」ということでした。
しかし、時既に遅く、脳が焼き切れてしまった状態のようで「サイババにここへ行けと言われたから来た」その他支離滅裂なことを口走るまで悪化していて手が付けられなかったため、申し訳なかったのですが私の手には負えず、入院を勧めてお断りしました。
霊格(霊性)の向上を伴わない、単なるチャクラ開発やクンダリニー覚醒は、このように制御不能で分不相応なものを本人に背負わせることです。
当の本人は力さえ手に入れば良いと思うかもしれませんが、魂のレベルが伴わないのにそのような力を持ってしまうと、その人は周囲だけでなく自分自身をも滅ぼしてしまいます。
だからこそ、そこに到達するには絶対的に魂磨き、霊格(霊性)の向上が必要なのです。
私がいつも、クンダリニー覚醒やチャクラ開発といった技術的なお話をほとんどすることなく、それよりも「生き方」「幸せとは何か」「魂磨き」「霊格(霊性)の向上」といったことばかりお話するのはそのためです。
貴方の周囲にもしクンダリニー覚醒を謳う人がいたら、よく見極めることが大切です。
覚醒と言うにはほど遠い、少しクンダリニーエネルギーが上昇したくらいでも、神秘的な体験をすることはあり、同時に何かしら超常的な力を発揮することがあります。
その人の日常生活はどうでしょうか。
日常生活の中で魂磨きを実践し、霊格(霊性)の向上を本当に意識して今世を生きている人でしょうか。
制御不能な、分不相応な力を得ている場合、それは必ずその人の日常生活に現れています。
科学や技術も、心が伴わない悪魔のような人間がその力を悪用すればとんでもないことになります。
遺伝子操作、コンピューターハッキング、生物兵器、核兵器・・・。
どれも基となる科学技術は素晴らしいものですが、悪用する人間がいるととんでもないことになります。
身近なところではお金だってそうでしょう。
お金自体に罪はありません。
しかし、悪魔のような人間が大金を手にすればどう悪用されるか判ったものではありません。
霊格(霊性)の向上を伴わない、単なる技術的なチャクラ開発やクンダリニー覚醒は、いわば悪魔にとんでもない武器を与えることと同じです。
霊格(霊性)の向上が必要だからこそ、その壁を超えられる人は極めて少なく、無理やり超えようとすると前述のような弊害が起きるよう予め組み込まれているのだろうとも思います。
技術的にどういうプラーナルートを開発するとか、どうエネルギーを通すとか、そのようなことは瑣末なことです。
人は、その前にやるべきことがたくさんあります。
チャクラ開発やクンダリニー覚醒は、魂磨きの結果、自然に得られる「結果」であり、それを「目的」にしてしまうことは本末転倒です。
「力」は、その人にその力が必要な「時期」がくれば自然に身に付きます。
より多くの方が、魂磨きの大切さ、日常の中にこそ魂の修行のチャンスがある、と気付かれることを祈っています☆
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2012年8月27日月曜日
クンダリニー覚醒以後の私☆
クンダリニーが覚醒した後、元々おとなしい聞き役だった性格は、元気で明るく話す方が多くなり、また飲み物の好みも変わりました。
そして、人にも、流れる雲にも、家にも、ゴミ箱にも、オーラがあり、気をかけるとそれがより光るを見ることとなりました。
また、クンダリニーの覚醒後、時々私の足元から小さな光の光体が現れるようになりました。
その可愛い光体は私の周りをとことこと歩き回り、しばらくすると再び足から体内に戻ってくるのですが、光体は現れるたびに少しずつ成長しているようです。
光体と言えばもう一つ。
私の肉体よりも大きな光の光体が現れます。
ある時、実験的に別の気功師の光体と私の光体とを入れ替えてみようと試したことがありましたが、光体に拒否されてしまいました。
その光体は本人の光の分身らしく、それを他人同士で入れ替えるというのはちょっと無理なようです。
時々、私が人と笑いながら話していたりすると、その話し相手の光体が現れる事があります。
そんな時、その人の肉体は今充電中だと感じます。
人は、私と会ってリラックスしている時や楽しんでいる時、緊張のロックを解いて充電するようで、充電し終ると、再び肉体を守る為に体内に戻るようです。
そんな時、その人の顔は穏やかで若々しくなります。
ちょうど人が恋をすると、顔が変わり恋顔に輝くように。
恋をしている時は恋エネルギー充電をしているのだと思います。
特に女性は、心弾む恋をしていると綺麗な顔になりますよね。
気エネルギーの充電、放電による体内変化や、気の質の重要性、気エネルギーが流れるスペースの必要性、その他もろもろの現実を見たり、感じたり、整えたりすることは、反省瞑想同様、私の日常となりました。
私は今、思います。
日常の中に幸せが溢れているのに、見つけられない人の多いこと。
見える世界の幸せから、見えない世界の幸せまで、幸せとは広く深く幅があります。
どの幸せも、見つけたらその幸せを抱きしめて、幸せ波動が浸透するまで身も心も幸せに包まれて下さい。
私がクンダリニーの覚醒によって得られた最大の変化は、常に幸せ波動に体が包まれているという事実です。
もし貴方がまだ幸せが見つけられないのなら、見つける為の感性を磨く努力が必要でしょう。
それは日常の中にこそあり、日常的感性を高めれば、必ず手に入ります。
普通に存在する事柄に感謝のまなざしを向けて、笑顔で努力してみて下さい。
そうすれば、たとえどんな人生でも常に幸せ波動に包まれた人生が開けていくでしょう。
貴方を幸せにしてくれるのは、物でも、お金でも、他の誰かでもありません。
貴方だけが貴方を幸せに出来るのですから☆
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そして、人にも、流れる雲にも、家にも、ゴミ箱にも、オーラがあり、気をかけるとそれがより光るを見ることとなりました。
また、クンダリニーの覚醒後、時々私の足元から小さな光の光体が現れるようになりました。
その可愛い光体は私の周りをとことこと歩き回り、しばらくすると再び足から体内に戻ってくるのですが、光体は現れるたびに少しずつ成長しているようです。
光体と言えばもう一つ。
私の肉体よりも大きな光の光体が現れます。
ある時、実験的に別の気功師の光体と私の光体とを入れ替えてみようと試したことがありましたが、光体に拒否されてしまいました。
その光体は本人の光の分身らしく、それを他人同士で入れ替えるというのはちょっと無理なようです。
時々、私が人と笑いながら話していたりすると、その話し相手の光体が現れる事があります。
そんな時、その人の肉体は今充電中だと感じます。
人は、私と会ってリラックスしている時や楽しんでいる時、緊張のロックを解いて充電するようで、充電し終ると、再び肉体を守る為に体内に戻るようです。
そんな時、その人の顔は穏やかで若々しくなります。
ちょうど人が恋をすると、顔が変わり恋顔に輝くように。
恋をしている時は恋エネルギー充電をしているのだと思います。
特に女性は、心弾む恋をしていると綺麗な顔になりますよね。
気エネルギーの充電、放電による体内変化や、気の質の重要性、気エネルギーが流れるスペースの必要性、その他もろもろの現実を見たり、感じたり、整えたりすることは、反省瞑想同様、私の日常となりました。
私は今、思います。
日常の中に幸せが溢れているのに、見つけられない人の多いこと。
見える世界の幸せから、見えない世界の幸せまで、幸せとは広く深く幅があります。
どの幸せも、見つけたらその幸せを抱きしめて、幸せ波動が浸透するまで身も心も幸せに包まれて下さい。
私がクンダリニーの覚醒によって得られた最大の変化は、常に幸せ波動に体が包まれているという事実です。
もし貴方がまだ幸せが見つけられないのなら、見つける為の感性を磨く努力が必要でしょう。
それは日常の中にこそあり、日常的感性を高めれば、必ず手に入ります。
普通に存在する事柄に感謝のまなざしを向けて、笑顔で努力してみて下さい。
そうすれば、たとえどんな人生でも常に幸せ波動に包まれた人生が開けていくでしょう。
貴方を幸せにしてくれるのは、物でも、お金でも、他の誰かでもありません。
貴方だけが貴方を幸せに出来るのですから☆
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2012年8月17日金曜日
クンダリニー覚醒以前の私☆
私がよくお話している「生き方」や「幸せ」の考え方は、クンダリニーが覚醒する以前に子供の頃からあったものです。
クンダリニー覚醒以前の私は、元々おとなしい性格で話すよりも聞く方が多い性格でした。
またこれは今もそうですが、自分の直感(インスピレーション)を大切にしており、ほぼ直感(インスピレーション)だけで生きてきたと言えるかもしれません。
そして、自分でこうしたい!と思う事があればすぐ実行に移す「すぐやる課・課長」で、すぐやると同時に創意工夫しながら整えていくタイプでした。
そんなようでしたから結果が世間的には悪いとみなされるようなこともあったと思いますが、それはその時精一杯やった結果ですから悔いはありませんでした。
それは悪いパターンの気付きとなり、今後は繰り返さないように気をつけるが良し、と気持ちを切り替える練習になりました。
幼い頃より、寝る前の反省瞑想でその日の出来事を頭の引き出しに整理整頓して眠ることが習慣でした。
心の整理整頓だけでなく、物理的な身の回りも整理整頓するが習慣でしたので、まさに今この瞬間に死んだとしても悔いは無い!という生き方を常々意識的にしていました。
我ながら少し普通の子と違っていたかなと思うのは、暗闇でも相当に夜目が利くことと、聴覚が並はずれて良かったことでしょうか。
また、頭の中に写真と同じように見たものを明確に再現する映像記憶能力が高かったことも他の子供とは少し違っていたようです。
私が気功師になったのは大人になってからですが、子供の頃から、手が冷たい冷え性の子がいれば両手をかざすだけで(触らずに)暖めては「触ってもないのに何故!?」と驚かれたり、肩が凝った人の肩をほぐしたりすると「貴方がちょっと触ってくれるだけで何故こんな楽になるの!?」と重宝がられ喜ばれていました。
人よりも自然の方が大好きで、本当の自分、魂としての自分は、肉体的自分に寄り添いながら生きていました。
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」という有名な名言がありますが、私には、この世も「参加することに意義がある」という意識が子供の頃からずっとあります。
こんなことがありました。
小学2年生の時、とある地方で一番大きな旅館に家族で泊まった時のことです。
私は廊下でたまたまその旅館の女将さんに出会い、少し立ち話をしました。
女将さんは子供の私に何かを感じたのか、両親の所へ行き
「この子をこのままうちに置いていって欲しい。決して悔いの残らない人生を送れるように、立派な後継者の女将に育て上げますから」
と頭を下げられました。
女将さんには子供がいなかったらしく、突然の申し出に両親はびっくりしましたが、両親は一応私に
「女将さんがこう言っているんだけど、貴方はどうする?」
と聞きました。
私は
「私はここの子になる!」
と答えました。
両親は絶句し、その後母が
「ママ達は帰っちゃうのよ?貴方はここに一人で残るってことなのよ?」
と言いました。
私はこともなげに
「良いよ」
と答えました。
それを聞いた母は、淡々と
「はい、じゃあこの話はこれでお終い」
と言いました。
私も母がそう言ってお終いにしたので興味も無くなりそれ以上何も言わず、結局その話は無くなりました。
私が家庭環境に恵まれておらず、他家に行きたかったのかと言うと全くそうではありません。
私は幸いなことに恵まれた家族に囲まれていましたので不満など全くなく、両親や家族は大好きでした。
しかし仮に、突然「今日でお別れね」となったとしても大好きな家族のことは忘れませんし、いつでも笑って「バイバイ!」と言える感覚で、どこかで(この世でもあの世でも)元気で幸せに過ごしてくれていればそれで十分でした。
父や母が今の父や母ではなく、別の父や母になったとしてもそれはそれで面白いと思いましたし、全く違う家の子供になって生きる場所が変わっても、そしてそれが仮に酷い場所だったとしても自分は必ず自分を生かすことの出来る人生を送る(元気で幸せに)、と思ったものです。
他にも同じようにうちの子供にしたいという話を持ち掛けられたことがあり、その時もやはり私の反応は同じでした。
なぜそうなのかというと、「この世は参加することに意義がある」からです。
だからどこにいても、誰のもとでも魂は磨けますし、環境が変化すればするほど経験豊かになれます。
この世では魂の経験を積むことが目的であって、この世的な勝ち負けは関係ありません。
何かに勝っても負けてもその結果を自分の中で生かしてくれば良く、それがこの世に生まれてきて本当に勝つということ、人生で成功するということなのです。
だから、失恋したり、学業や事業で失敗したり、何かを失ったり、嫌な目にあったりの数々の経験はとても貴重なものであり、その価値は「災い転じて福となす」ことが出来るかどうか、貴方の中でそれを魂磨きに活用出来るかどうかにかかっています。
そのように活用できた魂磨きの経験は、必ず貴方の業(カルマ)に良い影響を与え、貴方自身をさらなる高みに練り上げていってくれるでしょう。
もちろん一方で、幸福な時にはその幸福を周囲に分け合う「幸せのおすそ分け」も忘れずに。
そうすれば貴方の幸せ波動に惹かれて次第に周囲には幸せな人が増えていくでしょう☆
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クンダリニー覚醒以前の私は、元々おとなしい性格で話すよりも聞く方が多い性格でした。
またこれは今もそうですが、自分の直感(インスピレーション)を大切にしており、ほぼ直感(インスピレーション)だけで生きてきたと言えるかもしれません。
そして、自分でこうしたい!と思う事があればすぐ実行に移す「すぐやる課・課長」で、すぐやると同時に創意工夫しながら整えていくタイプでした。
そんなようでしたから結果が世間的には悪いとみなされるようなこともあったと思いますが、それはその時精一杯やった結果ですから悔いはありませんでした。
それは悪いパターンの気付きとなり、今後は繰り返さないように気をつけるが良し、と気持ちを切り替える練習になりました。
幼い頃より、寝る前の反省瞑想でその日の出来事を頭の引き出しに整理整頓して眠ることが習慣でした。
心の整理整頓だけでなく、物理的な身の回りも整理整頓するが習慣でしたので、まさに今この瞬間に死んだとしても悔いは無い!という生き方を常々意識的にしていました。
我ながら少し普通の子と違っていたかなと思うのは、暗闇でも相当に夜目が利くことと、聴覚が並はずれて良かったことでしょうか。
また、頭の中に写真と同じように見たものを明確に再現する映像記憶能力が高かったことも他の子供とは少し違っていたようです。
私が気功師になったのは大人になってからですが、子供の頃から、手が冷たい冷え性の子がいれば両手をかざすだけで(触らずに)暖めては「触ってもないのに何故!?」と驚かれたり、肩が凝った人の肩をほぐしたりすると「貴方がちょっと触ってくれるだけで何故こんな楽になるの!?」と重宝がられ喜ばれていました。
人よりも自然の方が大好きで、本当の自分、魂としての自分は、肉体的自分に寄り添いながら生きていました。
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」という有名な名言がありますが、私には、この世も「参加することに意義がある」という意識が子供の頃からずっとあります。
こんなことがありました。
小学2年生の時、とある地方で一番大きな旅館に家族で泊まった時のことです。
私は廊下でたまたまその旅館の女将さんに出会い、少し立ち話をしました。
女将さんは子供の私に何かを感じたのか、両親の所へ行き
「この子をこのままうちに置いていって欲しい。決して悔いの残らない人生を送れるように、立派な後継者の女将に育て上げますから」
と頭を下げられました。
女将さんには子供がいなかったらしく、突然の申し出に両親はびっくりしましたが、両親は一応私に
「女将さんがこう言っているんだけど、貴方はどうする?」
と聞きました。
私は
「私はここの子になる!」
と答えました。
両親は絶句し、その後母が
「ママ達は帰っちゃうのよ?貴方はここに一人で残るってことなのよ?」
と言いました。
私はこともなげに
「良いよ」
と答えました。
それを聞いた母は、淡々と
「はい、じゃあこの話はこれでお終い」
と言いました。
私も母がそう言ってお終いにしたので興味も無くなりそれ以上何も言わず、結局その話は無くなりました。
私が家庭環境に恵まれておらず、他家に行きたかったのかと言うと全くそうではありません。
私は幸いなことに恵まれた家族に囲まれていましたので不満など全くなく、両親や家族は大好きでした。
しかし仮に、突然「今日でお別れね」となったとしても大好きな家族のことは忘れませんし、いつでも笑って「バイバイ!」と言える感覚で、どこかで(この世でもあの世でも)元気で幸せに過ごしてくれていればそれで十分でした。
父や母が今の父や母ではなく、別の父や母になったとしてもそれはそれで面白いと思いましたし、全く違う家の子供になって生きる場所が変わっても、そしてそれが仮に酷い場所だったとしても自分は必ず自分を生かすことの出来る人生を送る(元気で幸せに)、と思ったものです。
他にも同じようにうちの子供にしたいという話を持ち掛けられたことがあり、その時もやはり私の反応は同じでした。
なぜそうなのかというと、「この世は参加することに意義がある」からです。
だからどこにいても、誰のもとでも魂は磨けますし、環境が変化すればするほど経験豊かになれます。
この世では魂の経験を積むことが目的であって、この世的な勝ち負けは関係ありません。
何かに勝っても負けてもその結果を自分の中で生かしてくれば良く、それがこの世に生まれてきて本当に勝つということ、人生で成功するということなのです。
だから、失恋したり、学業や事業で失敗したり、何かを失ったり、嫌な目にあったりの数々の経験はとても貴重なものであり、その価値は「災い転じて福となす」ことが出来るかどうか、貴方の中でそれを魂磨きに活用出来るかどうかにかかっています。
そのように活用できた魂磨きの経験は、必ず貴方の業(カルマ)に良い影響を与え、貴方自身をさらなる高みに練り上げていってくれるでしょう。
もちろん一方で、幸福な時にはその幸福を周囲に分け合う「幸せのおすそ分け」も忘れずに。
そうすれば貴方の幸せ波動に惹かれて次第に周囲には幸せな人が増えていくでしょう☆
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